私には思い出の先生が2人います。
- 高校1年生の2人目の担任
- 息子の公文の先生
順にご紹介しますね。
1.高校1年生の2人目の担任
プロフィールにもありますが、私の父は転勤族でした。
高校1年生の夏休みに引越しをして転校したので、担任が変わりました。
新しい学校の担任はA先生で、夏休みに初めてお会いました。
事務手続き、教科書、前の学校と新しい学校の授業の進み具合の話をしたと思います。
その時にクラスTシャツをもらいました。
その学校ではクラスごとにオリジナルTシャツを作り、体育祭や文化祭などクラスで団結する時に着ていました。
Tシャツをもらった時は、学校によって色々違うのねと思っただけでした。
2学期に入り、最初にTシャツを着る機会である運動会がやってきました。
運動会の最中でふと、クラスメイトとA先生が話すのが耳に入りました。
「先生、クラスTシャツどうしたん?」
「あ、うん…」
「もしかして、忘れたとか??」
「(苦笑)」
その時、私は気づきました。A先生は自分のTシャツを私にくれたのだと。
よく考えてみれば、新学期が始まった4月の時点で2学期から私が転校してくるなど誰も想像しなかったことですよね。(私でさえ予想外でした。)
当然Tシャツは、クラス人数+先生分しか作っていなかったわけです。
もしクラス中で同じTシャツを着ている中、私ひとりが体操服だったらと考えると・・・
人一倍、人と同じがいいと思っていた私には、到底耐えられなかったと思います。
(今でこそ”人は人、自分は自分”と思えるようになってきたのですが)
先生が自分のTシャツをくださったことに私は気づきながらも、結局先生にお礼を言うことができませんでした。
卒業するまで先生は同じ学校にいたのに。
卒業してから数年後、1度だけ高校へ行きました。
でもA先生は別の学校へ移っていて、会うことができませんでした。
その後も同窓会の案内がありましたが、遠くに住んでいたため行っていません。
私が高校1年生の時、A先生は30代後半だったと思います。
ということは、現在は定年になったかならないかくらいでしょう。
思い出の先生というお題を見て、A先生のことを真っ先に思い出しました。
お元気でいらっしゃることを願います。
2.息子の公文の先生
息子の公文の先生はN先生で、初孫が生まれたばかりの若いおばあちゃん先生でした。
息子は3歳から公文へ通い始めました。
最初のころは教室の中まで私も入って息子の隣に座り、勉強するところを見ていました。
“隣に座るのも始めの1か月くらいだろう”と私は(勝手に)思っていたのですが、「今日は1人で頑張ってみようね」と言っても息子は「お母さんがいないといやだ」と言い続けました。
1人で頑張るといっても私は家に帰るのではなく、同じ教室内の待ちスペースにいるのです。
それでもいやだと言い続けて、とうとう2学期が終わりました。
お正月明けに息子は4歳になるので、ちょうどいい機会だと思い、
4歳になったら1人で座ろうね。お母さんは教室の隅にいるね。
という約束をしました。
ところが…
お正月明け最初の教室で、約束をしたにもかかわらず息子は「一人はいやだ」と言い張りました。
「約束したよね」「でもいやだ」を繰り返すうちに息子は泣きだし、私はだんだんイライラしてきてきました。
約束したじゃん。
もう4歳だよね。
ほかの子は1人でやっているよ。
私はいつまで隣に座りつづけるの。
教室で泣いていたらほかの子の迷惑だよ。
そんなことを考えているうちに、涙がでてきました。
約束を守れない息子に対し、
そんな息子を許せない自分に対し、
悔しいという気持ちでした。
涙は”ぽろぽろ”ではなく”じんわり”と出てきましたが、N先生は気づいていたと思います。
でも私が隣に座ることで息子はいつも通り勉強し、帰宅しました。
その夜、N先生から電話がありました。
「お母さんと一緒がいいと言うのも、今のうちだけですよ。大丈夫、できる時は必ず来ますから。」という言葉がとても印象的でした。
息子の先生ですが、私を心配してくださったのでしょうね。
電話中に、また半泣きになってしまいました。
その後はN先生の協力もあって私は待ちスペースで待つようになり、4月からは送り迎えだけになりました。
我が家が引越したためN先生とお別れしてしまいましたが、息子は公文を続けています。
息子の先生に、私まで教わりました。
以上、はてなブログ今週のお題「思い出の先生」でした。